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novel.
■三小篇 #01「だだっ広い公園で」
「私の声が聞こえるかしら?」
「……?」
女だった。絹糸のような長い黒髪の、和やかな瞳の女である。ベンチからそれを見上げた男は、取り出したばかりの煙草を咥えたまま答えない。もちろん、声は聞こえていたが。
 そこは公園というよりは緑地といった場所だった。雑木に囲われただだっ広い土地に芝生が敷き詰められている。遊具も無く、有るものは小豆色に舗装された道と適度に設えられたベンチくらいだ。
 昼下がり、そのベンチの一つに腰を落ち着け男が一服しようとした時、女は現れた。
「貴方の見ている世界と私の見ている世界は同じかしら?」
再度女は開口する。問いは続くらしい。良く言えば哲学的な、一般的には意味不明な問い。因みにこの女とは初対面である。見知らぬ人間にこんな問いをするということは、つまるところそういうことだった。
(勘弁してくれよ)
心中で溜息をつく。何かすることがあるではなかったが、こんな女とお喋りというのは頂けない。無視したいところだが、思いっきり目を合わせてしまっている今、そういうわけにもいかなかった。なら出来るだけ早くこの場を切り上げるしかない。もう一度胸の中に息をはき、男も口を開いた。
「たぶん違うんじゃないですか?」
なるだけ気の無い風を意識して答える。それを受け女は
「そう言うと思ったわ」
と、満足げに笑みを浮かべた。が、問いは終わらない。
「じゃあ木々の葉擦れは聞こえる?」
辺りを見回し女。男もそれに付き合う。木は見えるところいっぱいにあるが、風がなかった。当然、葉擦れの音は聞こえない。
「いいえ」
正直に男。
「じゃあ、あの子供たちの声は?」
そう言って適当に離れた場所を女は示す。しかし、そこに子供の姿は見えなかった。
「いいえ、聞こえません」
至極当たり前の答えを、大きな息とともに吐き出す。それでも女は変わらない調子で続けた。
「それじゃあ、鼓動は聞こえる?」
胸に両手を当て女。だが、男は答えなかった。替わりに噛み付く。
「あんた。何か知らんがいい加減に……」
目が合う。深い穏やかな目だ。それに気勢をそがれる男。今度は口を通して嘆息し、自らの胸に手を持っていく。答えは決まっていた。はい、聞こえます。だが、その言葉を出すことはできなかった。目を見開き、胸を見下ろす。見える手には何も伝わってこなかった。鼓動が無い。
「……」
顔を振り上げるが、女も消えていた。弛緩した顎から煙草が落ちる。視界には、いつの間にか白い光が溢れていた。何かが記憶の深みから浮き上がる。
(そうか。そういえば、そうだったな)
光に意識が呑まれてゆく中、男はそう呟いた。

 そこは公園というよりは緑地といった場所だった。雑木に囲われただだっ広い土地に芝生が敷き詰められている。有るものといえば小豆色に舗装された道とベンチくらいだったが、子供が遊び回るにはそれだけでも十分だ。
 そんな昼下がり。ベンチに腰掛け女が寝息を立てていた。花束を膝に抱え、穏やかな笑みを浮かべた、黒い絹糸のような髪の女だった。
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