AREA513/contents.
novel.
■月の奏でるノクターン
 最近、毎夜のようにみる同じ夢。――夜、僕は何かに追い立てられるように木々に挟まれた石段を駆け上がっていた。顔を上げた先には、頼りない月に照らされた紅い鳥居が立っている。石段を上がりきり鳥居をくぐる。薄い月明かりがわずかに降っているだけの境内。そこには、御社の屋根を優に越す巨大な何かが立っていた。その影は百足の様で、頭を垂れ、どこかを見下ろしているように見える。その先には、女の子が一人、倒れていた。知っている娘。その全身は血と土に汚れている。と、こちらに気付いたのか、その娘が顔をゆっくりとこっちに向ける。その顔にも、赤。ほとんど視界の利かない中、何故それが彼女だと、何故それを血と確信できたのかわからなかった。それでも、とにかく僕は彼女の名前を叫ぼうと息を吸い、口を開く。そして、――いつも夢はそこで終わっていた。

 少し柔らかくなった陽を窓越しに、教師はチョークを執り、生徒達はノートをとったりとらなかったり…。そんなどこにでもある高校の授業風景。その中に彼――高良 空人(たから あきと)もいた。別段特徴があるわけでない容姿。だが、どこか抜けたような、優しい感のある少年だ。ちなみに彼は、ノートをとっていない。と言うか授業すら上の空である。そんな彼の意識は今、斜め前の席にいる少女に向いていた。半眼で、いつもどこか不機嫌そうな顔をしている黒髪の少女。今は、机に突っ伏し小さく寝息を立てている。それは、彼女――火照 御狐(ほあかり みこ)にとってはいつものことだった。
「…以上の様に、中国の古典思想には“混沌”というものが根ざしている」
そう言って、教師はチョークを置く。と、突然御狐が立ち上がった。一瞬停滞する教室の空気。その中で教師が口を開く。
「火照、どうした?」
しかし御狐は応えない。席を離れ、教室後ろのドアに向かう。
「お〜い火照ぃ」
その背中を教師の声が追うが、それにも応答はない。そのままドアに手を掛け、一度振り向き、口を開く。いつものように半眼で。
「…保健室行ってきます」
そう言って教室を出る御狐。しかし、それも彼女にとっては日常だった。暫くして再開される授業。流れる教師の声を遠くに、空人は御狐の出て行ったドアを眺めていた。

 本日の授業は終わり、放課後。皆下校やクラブの準備をしている。結局、御狐は戻ってこなかった。そんなことを思いながら、空人は虚空に目を泳がせていた。と、声がかかる。
「今日も見てたなぁ、空人ぉ」
言われ、顔を上げる。目の前では声の主、高原 光(たかはら こう)が、元々悪ガキっぽい造作をさらに悪戯っぽくゆがめて立っていた。その隣では、長身で眼鏡の飄々とした男、長谷 巧(はせ たくみ)も同じように笑っている。だが、その当人は何のことかわかっていないらしい。疑問符を浮かべる空人。
「なにを?」
『火照のこと』
と、光と巧。打ち合わせでもしたのか、あまつさえ綺麗にハモっている。
「そっ…」
それに中身を解し反論しようと空人が口を開く。が、すぐにかき消されてしまう。
「しかし物好きだなぁお前も。ああいうのがいいのか?」
「だからそんなんじゃないって」
聞いてくる光に、そう答える空人。今度は巧が聞く。
「じゃあどんなんだ?」
「っ、…それは」
その問いに、空人は一瞬答えに迷うが、すぐに口を開く。少し不安げになった目は、御狐の席の方を向いている。
「…気になるんだ、なんとなく。うまく言えないけど、でも気になるんだ…」
嘘の無い本心の言葉。だが、どうやら逆効果だったらしい。視線を戻した先にあった二つの顔は、さらににやけたものになっていた。
「まぁ恥ずかしげも無く…」
「なぁ」
「だからそんなんじゃないってぇ!」

 まだ六時を回ったところだというのに暗さは夜と変わりない。近くには、小山の上に神社があるだけで街灯も無い人家の疎らな道を、空人は自宅に向かい歩いていた。あの後、光に付き合わされるままに結局こんな時間の帰りとなったのだ。
(…寒。もうすぐ冬だもんなぁ)
そう心の中で独りごち、空人は空を仰いだ。そこには、丸く、妙に綺麗な、しかし何故か弱々しい感じを受ける月が浮かんでいる。そして、その月は空人にあの夢を思い出させた。あの、神社の夢。と、空人の意思に関係なく、勝手に夢の映像が頭をよぎっていく。石段、鳥居、百足、そして、血に汚れた少女。
空人はその少女のことを知っている。
(…やっぱりあの娘は…)
その名前を思い浮かべようとする空人。刹那、
 ドンッ
と大きな爆音が響く。
「なにっ!?」
空人が見た先、爆音の発信源は、小山の上の紅い鳥居、その奥だった。

 最近、同じ夢ばかりみる。薄い月の照らす神社。そこで私は、何も出来ずに倒れていた。…? 倒れている? そんなことすら確かでない。動かない、泥のような身体には感覚がなく、思考もだんだん曖昧になっていく。どこも見ていない目には巨大な百足が映っていた。それは何か言っているようだったが、それを理解できるだけの力は残ってない。しかしそんな耳に、敷石を伝って一つの足音が入ってきた。誰かが近づいている。いったい誰が? 何とか首を回し、石段の方へと顔を向ける。そこには、一人の男の子が立っていた。知っている子。その子が大きく口を開く。私の名を呼ぼうとしている…。それを確信したのは、たぶんこれが夢だからだ。でもその声を聞くことは無く、夢は終わる。

「あっ!」
薄明かりの神社。敷石に身体を打ちつけ御狐は、もう何度目かわからない悲鳴を上げる。そのまま立ち上がらない。その身体は、血と土に汚れていた。
(くっ…、これぐらいで…!)
心の中でうめき、身体を起こそうとする御狐。だが、力が入らない。それどころか意識すらまともに保てなくなってきている。かなり不味い状況。しかし、それを打開するための力は無い。痛みと共に薄れてゆく意識。と、境内に声が響く。
『くくっ、情けないな仔狐』
御狐を見下ろし、巨大な百足――の形をした妖怪――が嘲笑混じりに言う。
『いや、ただの小娘か? まだ尻尾も生えていないのだからな』
続ける百足。喜色満面といった声だ。が、その声も御狐には聞こえていなかった。かすむ視界の中に立つ百足。それを見たとき、御狐の思考は現実感を失った。
(…この光景、知ってる。夢の…)
動かない身体、目に映るだけの百足、その聞こえない声、そして
(足音…)
無言で呟く。それと同時に足音が響き、止まる。御狐は首を回し、その方を視界に入れる。そこには、一人の少年が立っていた。少年が口を開く。御狐は、その光景に解放をみた。
(声は聞こえない、あなたは私の名前を呼ぶことは出来ない。…これで、夢は終わる)
しかし、その期待は裏切られる。
「火照さんっ!」
「!?」
響く声。目を見開く御狐。急速に意識が鮮明になっていく。同時に痛みも戻ってきた。
『人間? 何故このようなところに?』
今ごろ気付いたのか、声を上げる百足。それもはっきり聞き取れる。
(そうだ、これは夢じゃない…。痛みもある、私を呼ぶ声も聞こえた…。まだ…)
ゆっくりと立ち上がり、百足を見据える御狐。
「まだ、夜は終わってないっ…!」
その言葉に呼ばれたように、彼女の右手に紅い焔が現れる。
『なにっ!?』
驚愕する百足。御狐は右腕を身体に巻きつけ、
「紅焔よ、焼き祓えっ!」
その腕を振り切る。手を離れた焔は百足に突き刺さり、爆発する。
『ぐあっ!』
悲鳴を上げる百足。焔の直撃を受けた部分はきれいに消し飛んでいた。
『くそっ!』
毒づき、百足は頭を虚空に打ち付ける。と、硝子のように空間が割れ、百足はそのまま割れ目に滑り込んでいく。その間も百足から視線を外さない御狐。百足の姿が完全に消えると、割れ目も無くなり空間も元に戻る。残ったのは、満身創痍の御狐と立ち尽くす少年だけだった。

 空人は、ただ立ち尽くしていた。夢で見た場所で、夢で見たことが起こりそして、夢の続きを見た。
(夢?)
自問する。答えはすぐ返ってきた。
(ちがう夢じゃない、現実だ…。でも)
それは彼には到底理解しがたいものだった。百足の化け物に、それを退けたクラスメイト。いっそのこと全部夢だと言う方がよっぽど説得力がある。と、そう思う空人の視界の中で、御狐が地面に崩れた。
「! 火照さんっ」
それに空人は慌てて駆け寄り、傍らにひざまずく。そして半身を抱き上げ、呼ぶ。
「火照さんっ」
反応はない。息はしているが、意識を失っているようだ。大きな外傷は無い様に見えるが、素人目には安全な状態かどうかわからない。
(どうしよう…、どうしたらいい…!?)
これが現実だろうが夢だろうが今は関係ない。考える。が、それを突風に遮られる空人。異常に強い風に目を閉じる。暫くして風が止み、空人は目を開ける。と、そこには、今までいなかった者がいた。
「? きつね?」
月明かりを受け、淡い黄金色に輝くそれは、確かに狐だった。それがこちらを向いて座っている。視線が交錯する空人と狐。と、突然狐の口がゆがむ。
(! 笑った?)
そう思った瞬間、また突風に目をふさがれる空人。再度目を開いたときには狐も、そして、 「!」
気付き空人は視線を落とす。腕の中の御狐もいなくなっていた。手に残っていたのは、彼女の血だけ。
(……)
飲み込めない夜に一人残され、ふと空を仰ぐ空人。そこに浮かぶ月は、どこか輝きを増したように見えた。

 「火照」の札の下がった家。その一室で、火照 太空(ほあかり たすく)は妻と娘の帰りを待っていた。落ち着かない様子で、普段やさしい顔にも今は心配の色がにじんでいる。と、玄関の方に気配。それと同時に太空の姿はその部屋から消えていた。
 玄関まで駆け、急ぎ戸を引き開ける太空。外には、狐の耳と尻尾を生やした妻、御咲(みさき)と、その腕に抱かれた娘、御狐がいた。が、娘の有様は酷かった。太空は御咲の顔をみる。すると御咲は、優しい笑顔で一言、
「ただいま」
と告げた。それに太空は安堵する。どうやら御狐は無事らしい。
「おかえり」
そう言って、太空は半身をずらした。

「…?」
カーテンの隙間から差した陽に起こされ目を開く御狐。初めに見えたのは、天井だった。なんでもない、自分の部屋の天井。だが、何故ここにいるのか?
(…たしか百足を退けて、それから…)
おそらく気を失ったのだろう、その後は覚えてない。いや、最後に風が吹いていたのを覚えている。温かく、優しい風。
(そうか。…つっ)
ここにいる理由を確信し、御狐はまだ少し痛む身体を起こし部屋を出た。

 台所。水は流れているが御咲――今は耳も尻尾も生えていない――の手は動いていない。彼女は、無為に流れる水の音だけを聞くともなしに聞いていた。と、その耳に別の音が入ってくる。階段を下りる音。振り返り廊下の方を向く御咲。数瞬後、その視界に娘の姿が現れる。
「おはよう御狐。…体、大丈夫?」
「うん」
御狐はそう答えるが、まだ無理がある様に見える。口を開く御狐。
「お母さん」
「なに?」
「ありがと」
そう言って微笑む御狐。御咲も、それに笑みで返した。
「そうだ、お風呂沸いてるから」
促す御咲。
「うん」
答え、御狐は風呂場のほうに消えていく。その後を御咲は、不安を含んだ笑顔で見送った。

「…痛」
傷に湯がしみる。幸い、大きな怪我は無かったようだが、全身傷や痣だらけになっている。首まで湯につけると御狐は、朝日に照らされた湯気を見上げ、その傷を創ることになった原因を思い起こした。
(…そりゃあ戦ったからなんだけどさ)
では、その戦う理由は何か?
(人に障りある妖怪を祓う、それが「火照」の役目。お母さんはそう言っていた。…じゃあ私はその役目を果たしている。それだけ?)
それだけが戦う理由なのか? 自問する。が、
(…わからない。でも、あの百足は私が祓う。私があそこに縛ったんだから)
それを強く心に刻み、御狐は瞳を閉じた。

 風呂を上がり、用意してあった朝食を摂る御狐。その向かい側に座っている御咲。心配そうな顔で、口を開く。
「御狐…」
声も表情と同じ色をしていた。応える御狐。
「なに?」
「あの百足…」
そこで少し間を取る。御狐の箸が止まった。それを見、後を続ける御咲。
「…あれは、あなたには荷が重いわ。だから…」
御咲の言葉。それは御狐も自覚していることを告げていた。だが、それを遮る御狐。
「大丈夫」
「え?」
「大丈夫。重くても、持てないわけじゃない。それに、自分の業は自分で拭うから。だから、心配しないで」
静かに、強くそう告げる。御咲は暫く黙った後、
「…そう」
と、一言だけ口にする。しかし、その声からも表情からも暗い色は消えていた。再び箸を動かし始める御狐。
「おいしい?」
「うん」
微笑む御咲に、御狐はそう答えた。

 いつもと同じ学校。いつもと同じような授業風景。そして、いつものように空人の眺める先に、いつもの背中は無い。今日、火照 御狐は欠席していた。理由はおそらく、
(…きのうのあれ、なんだろうな)
そう心の中で独りごち、昨夜起こったことを思い出す。否、正確には思い出したのではない。あのことは昨夜から延々頭の中を回っていた。現実とは思えないような現実。しかもそれは、
(夢と同じだった)
そのことが、彼の中で起きたことをいっそう現実感のないものにしていた。だが現実に御狐は来ていない。
(…火照さん)
心で呟き、空人は手の平に視線を落とす。そこにもう血は残っていない。しかし、彼の意識は彼女に残っていた。何故か彼女に会わなくてはならない。そんな思いが今彼の心の中に在る。と、いつのまにか授業が終わっていたらしい。
「おう空人、呆けてんねぇ」
光の声。だが反応が無い。
「空人?」
再度呼んでみるが結果は同じ。ちょっと困り、光は隣に居る巧に助けを求めた。すると巧は空人に近づき、その頭に無言で手刀を叩き込む。
「いたいっ」
悲鳴を上げる空人。それでやっと気付いたのか、光と巧を見上げ疑問符を浮かべる。いまいち状況が分かっていない。
「なに?」
「…重症だな」
「あぁ」
呆れる二人。その周りでは下校の準備が始まっていた。

 火照家。一定の間隔でまな板を叩く音が聞こえる台所には御咲、その隣の部屋では御狐が眠っている。日の落ちてきた空には白い月。もうすぐ、夜が訪れようとしていた。寝返りをうつ御狐。と、台所から聞こえていた音が突然消える。
(…出てきた)
感覚が告げている、昨夜の百足だ。場所は昨日の神社。隣の部屋を見るがすでに御狐はいない。包丁を持ったまま御咲は廊下に飛び出す。玄関には、御狐が立っていた。口を開く。
「いってきます」
「いってらっしゃい」
御咲も口を開き、御狐のその背を見送った。

 その少し前、百足が現れる前の神社に一つの人影が差していた。空人である。ここにくれば彼女に会える。その確信が彼をこの場所へとつれてきた。
(…でも、なぜ会わなくちゃならないんだろ?)
自問するが、答えは返ってこない。それでも、その思いはすでに義務感というものにすらなっていた。ただ待つ空人。手持ち無沙汰で仰いだ空には丸い、まだ白い月。と、
 ガサッ
と茂みを揺らす音が聞こえる。その方に顔を向ける。
(なんだ?)
何と無く気になるものがあり、空人は茂みに近づき中を覗き込んだ。だが何も見えない。
(……)
今度は茂みを分け中に踏み込む。先は少し開けた場になっており、そこには、一匹の白蛇がいた。神社があるとは言えここは小さくとも山である。別段珍しいと言うことでもない。だが、その蛇と視線が合ったとき、空人は意識を失った。

 木々に挟まれた石段を駆け上がり、御狐は紅い鳥居をくぐる。薄い茜色から黒く変じた空では月が輝いている。その光に照らされた境内では、一条の巨大な影が彼女のことを待っていた。その影に昨夜の傷は残っていない。
『来たな小娘。早々にこの縛鎖、解かせてもらうぞ』
御狐を睨みつけ百足が言う。彼女も同じように言葉を返す。
「いいわ、解いてあげる。この世界からね」
『くっ、小娘が…。嘗(な)めるなぁ!』
怒声を上げ無色の力の塊を放つ百足。それを御狐は左に跳び回避、同時に
「はっ!」
炎を投げる。直後、御狐がさっきまで立っていた場所がクレーターになり、投げつけた焔は百足の頭を直撃する。爆炎を上げる焔。だが、百足は事も無げにその炎の中から顔を出す。そして、今度は自らの身を御狐に向けて放った。

 空人が目を開くと、目の前にはさっきの白蛇がいた。だがそこは茂みではない。視界いっぱいに黒い。自分と蛇以外はまったく見えない、踏みしめているはずの地面でさえ危ういような、そんな黒い空間。と、そんな空間に声が響く。淡々とした声。何故か空人には、その声が白蛇のものだと言うことがわかった。
『器の者よ』
だがその言葉の意味はわからなかった。素直に疑問を口にする空人。
「器?」
『そうだ。器の者よ、汝は他者の力を内包している、故に器。汝が器の中の力、それを元の主に還す時が来た』
返事はすぐに返ってきた。ただし、期待したものではなかったが。再度空人は口を開く。
「ちょっと待って、わけわかんないよ。器とか力とか…、それに元の主って誰?」
その声は少し荒げられていた。しかし返ってくる声は相変わらず淡々としている。
『器の者よ、わかる必要は無い、受け入れるだけでいい。力の主、それは既に汝は知っている。最後に、待つことは出来ない。力の主は今窮地にいる』
そこまで言うと、蛇は黒に呑まれていく。気付けば空人自身にも黒が浸食してきていた。
(力の主…)
消えてゆく意識の中には、確かにその姿があった。

『威勢がよかったのは最初だけだったな、小娘。俺を祓うのではなかったのか?』
嘲笑を含んだ百足の言葉。ひざまずいてそれを聞く御狐。その姿は、昨夜の一歩手前にまできていた。それでも、立ち上がり口を開く。
「祓うわよ…。自分の業だもん、自分で払って当然でしょ…!」
言い放つ。それを聞いた百足も再度口を開く。
『なるほど、覚悟は立派だ…』
そう言うが、声には明らかに怒気が含まれていた。後を続ける。
『だが、如何せん力が足りん。覚悟だけではどうにもならんのだ。なぁ小娘ぇ!』
叫びに転じる台詞。それと同時に放たれた力の奔流。防ぐことも避けることもかなわない、それを前に御狐は、一瞬の永遠を体感した。ゆっくりと迫ってくる巨大な力。それに為す術もなく呑み込まれる自分の姿が、馬鹿に簡単に頭に描けた。しかし、現実にそれが起こることは無かった。見開いた視界を、誰かの背中が覆う。直後、力の塊はその背中の主に呑み込まれていく。
『なっ!?』
驚愕の声を上げる百足。声こそ上げられなかったが、御狐も百足と同じ心境だった。立ち尽くし、目の前の背中に見入る。数瞬の後、百足が放った力が完全に姿を消す。すると、背中が反転。そして声。
「火照さん、大丈夫?」
と、振り返ったのは空人だった。それにさらに驚く御狐。だが、それを気にすることなく空人は続ける。
「…還しにきた、君の力を。生まれた頃から預かっていた君の力…」
台詞はそこまでだった。倒れこむ空人。
「! 高良君!?」
それでやっと思考を取り戻した御狐。慌ててその場にひざまずき、空人を診る。どうやら気絶しているだけらしい。小さく御狐は安堵する。と、空人の背中から一つの光球が浮かび上がる。月に似た柔らかい光を放つ球。
「……」
御狐はそれに手を触れる。すると、それに従うように光球は御狐の中へと入っていった。刹那、それに慌てたのは百足だった。
『! 小娘が、消えろっ!』
放たれる力。それは確かに御狐に直撃する。だが、立ち込める粉塵の中には人影があった。その人影が手を振るうのが見える。直後、
『ぐあっ!』
百足の悲鳴が響く。同時に、その姿は塵へと還っていった。

「うっ…?」
百足のいなくなった神社で目を覚ます空人。体を起こし、一番先に目に入ったものは御狐の姿だった。月明かりを受け、淡く金色に輝く尻尾と耳を生やした御狐。月を見上げている。
「受け取ってくれたんだね」
その横顔に空人。その声に顔を下ろし、
「うん」
と御狐は柔らかい笑顔で答えた。


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