AREA513/contents.
text.
■善い生き方について‐私の場合
 なんというか、善く生きるためには必要な事が結構ある、のだ。

 その前に「善く生きる」というのは何かということを定義しておこう。もちろん「私の場合の善く生きる」ということであるが。善く生きるというのは気持ちよく生きるということだ。なんというか、自分に素直に生きるというか、自分に嘘はつかずに生きるというか。あー、いや違うな。嘘はついてもいい。
 「自分が気持ちいい」「自分の心、魂に負担をかけない」
というのが最優先事項だ。もちろん、私の場合、である。

 ではそのために何が必要なのか。
 まず、そう、よい友人である。心の部分を明け渡してしまえる友人。それで尊敬できるならいうことはない。ただ、依存しずぎるのはまずいのである。あと期待しすぎるというか、自分の願望を押し付けてはいけない。それは結果として、だいぶ自分に気持ち悪いことになる。なんというか、自己嫌悪とか猜疑とかに苛まれるのである。しかもそれはまったくの自業自得であり、相手には迷惑極まりない。さらにそのことが自分を追いやるという悪循環。これは、よろしくない。
 だから、なんていうか、気持ちよい友人関係が必要なのである。どうやったら気持ちよいのかというのもまた難しい気がするが。一番簡単な解放としては先にあげた気持ち悪いことをやらなければいい。うむ。
(あとはあれかも、相手が好きな人ならそれだけでいい気もする。それは気持ちがいい。自分が好きになったのだから。まあそれは次の項にかかってこないのだが。なんかこれが結論なんじゃないかとも思うわ。)

 で、上のから見えてくるのは、「あるがまま」を受け入れるということである。自分の気持ちを混ぜずに、あるがままを受け入れ、納得するということだろうか。そうなのだろう。それができないから私は気持ち悪いのか。でもあれだ、気持ち悪くてもそれが私なのだ。それは、なんていうか、譲れないというか。でも気持ちよく生きたいのである。嗚呼、ほんとわがまま。人間ってどうしてこう上手くできてるんだろうな、ほんと。いや上手くできてないとも言えるが。ともかく。

 あとはあれか。人を尊敬することを忘れない。人をほめることを忘れない。怒らない。悋気にとらわれない(ヤキモチを焼かない)。約束を守る。できることはできる、できないことはできないと言う。自分の言った事は責任を持って果たす。言葉だけで「やる」とかはやらない。言葉と行動は少なくとも2:1とか1.5:1くらいが理想的。等々。

 あと、自分の思うままに生きる、自己中心的に生きるというのは気持ち悪い。私は、である。現に、気持ち悪い。もっと他人との関係を大切にして。「その人の理想の中に生きよ」というのはまったくその通りだと思う。関わる人、大切な人が抱いている「自分(つまり私、この場合皐月一三)への理想」の通りに、それに近づけるように生きるのだ。それはまさに理想的だと思う。かなり、難しいが。

 と、ここまで「私の場合の善い生き方」についてあれこれ述べてきたが、どうにも、人との関わりに関することばかりである、ように思う。それはつまり私は一人では生きていけないということなのだろう。そう、好きな人とでないと生きていけないのだと思う。好きな人の理想の中に生きることはそれこそ理想的だ。だがそれは相手が好きな人、大切な人である場合である。
 なんとも、わがままだ。
 善く生きる道は長く険しいっぽい。

 なんか落ちてないが、今回はこのあたりで筆を置くことにする。


Copyright (c) satukihitomi All rights reserved.