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■疑うこと
 「常識を疑え」とかいうのはかっこいい。なんかひねくれた感とか普通とはちがった感があるから。
 普通とちがうっていうのはなんかかっこいい。不良がかっこいいのと同じような感覚だろうが、何故?

 とまれ、信じていることも意識してないものを疑うというのは面白いことである。ネタとして。なわけで、もっといろんなものを疑ってみるというのはいかがだろうか?
 例えばテレビ報道。どこかであった事件は実はフィクションなんじゃないだろうか、とか。国会中継はドラマで、本当に日本を回している人たちは別のところにいるんじゃないだろうか、とかそんな感じ。
 ことにこのネット時代。情報はまさに氾濫し混沌としている。最後に頼れるのは自分の目と耳と脳だ。外からの情報は一度疑う、というくらいの気持ちでいても悪くない。って学校で言われた気がする。
 んで、さらに飛んでみると、自分の周りにある世界は本物なのか、とか。自分は本当に存在しているのか、とか疑ってみる。哲学の分野に踏み入る感じだ。
 こうやって一度周囲や自分を客観的にみると見えなかったものとかも見えてくる、と思う。いままでと視点がちがうんだから当然か。
 と、「疑う」というのはいろいろ考える一助になったり。

 でも光あれば影あり。ダークサイドの「疑う」ってのは体に悪い。
 例えば、「あの子、友達のように思ってるけど実は裏で私を馬鹿にしてるんじゃ」とか、「口ではこう言ってるけど実はそう思ってないんじゃ」とか。こういうのは被害妄想的である。
 まぁ、仮にそうであったとしても自分との接点ではその事(裏の顔)は見えないんだから関係ない、という風に考えれば楽かも。
 「見えないものは無い」理論である。今回はここまで。

 さて、窓の外は本当に思っている通りの「外」でしょうか? とか。


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