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novel.
■時の民〜未来編・ナガヒサ〜
止まることなく流るる時。
其の流れに身を置くことを拒んだ私は今、其の流れの外にいる。
そのことに気付いた時、私は歓喜した。
これで死ぬことはない。私は永遠の生を手に入れた。と。
だがやがて、それが間違いだったことに私は気付く。
確かに死ぬことはない。だが、生きているのか?
年をとることのない――うつろうことのない身体。
代謝のないこの身体には、既に食事も睡眠も必要なものではない。
否、そんな事すら出来なくなったていた。たとえ望んでも。
私には、『時間』が無かった。
私は、『時間』を失っていた。
『時』を失った身体は、私から『生』を奪っていた。

止まることなく流るる時。
其の流れの外で、私はいつしか死を願うようになっていた。



 西暦2051年、日本。様々な希望や危惧を抱え迎えた2000年代も何事も無く半世紀が過ぎた。時が進み、光の網が世界を覆い超々高層のビルが林立しても、車は空を飛ぶことのないそんな未来。人は、相も変わらず生きていた。五十年前とさほど変化のない、だが分極だけは進んだ世の中を。漠然とした希望と失望を抱えて。
 夜――希望より失望の比重が高い、浮浪者たちが暮らす町、都市外輪区。開発の進んだ中心区と違い過去の色を残すビルと家屋の混在する地区。大通りから少し入れば浮浪者や何にでも敵意いっぱいの子どもたちが屯(たむろ)している。
 そんなくらい街を、男が独り駆けていた。年の頃は二十歳の半ばか。短い髪が汗に濡れていた。走る男は、時折立ち止まって後ろを振り返り、また直り走り出す。どうやら何かから逃げているらしい。男はまた立ち止まり振り返る。足音は聞こえるがまだ姿は見えてない。
(――撒くなら今か。しかし、しつこい奴らだよ)
心の中でそう毒づき、男は路地へ駆け入った。

 そのすぐ後、男の通った道を数人の、全身を黒装束で覆った男達が駆けてゆく。そして、止まる。其処は、さっき男が入っていった路地の入り口だった。黒装束の一人が、手中のパネル状のものを確認し、声を発する。パネルの表面にはここ周辺の地図が映し出されており、その上を明滅する赤い点が動いている。
「奴はここを曲がったようです」
淡々とした報告。それを聞き、別の黒装束が指示を出す。先ほどの者よりは幾分か太い声。
「よし、追うぞ」
そう言ってその黒装束が先頭になり、男達はくらい路地に姿を消した。

 よごれた路地を幾度か曲がり、少し開けた場所に出る。男は立ち止まり、また来た道を確認する。そしてそのまま首を一周させた。辺りに人気はない。……。
「…はぁ」
一つ溜め息を吐いて緊張を解き、男は壁に背を預けた。乱れた息を整え、額の汗を拭う。暫くすると動悸も落ち着いてきた。
もう一度深呼吸をするため息を吸うと、さっきは気にならなかったゴミの臭いが鼻につく。それに顔をしかめ、息を吐き出し空を仰ぐ。と、ポッカリと丸い月が浮かんでいた。その光が街灯も無い路地裏を淡く浮かび上がらせている。
(…そうか、助かったな)
月に見惚れながら男はそう思う。流石に真っ暗な路地を走ることは出来ない。とまれ、
(って、やってる場合じゃなかった。そろそろ動こう)
と、男は顔をおろす。そして派手に驚く。とは言っても背中に壁があるのでのけぞることも出来なかったが。
「なっ、いつのまに…!?」
まったく気付かなかった。自身、そんなに勘のよい方ではないが、それでも普通気付くだろうというぐらいの距離。そんな距離に、いつの間にか一人の少女が立っていた。高校生くらいだろうか。身なりは浮浪しているといったものではない。淡いクリーム色の髪が月明かりを思わせた。そんな少女が、どこか超然とした瞳で男に問う。
「ねぇ あなた、こんなところでなにやってるの?」
「あ、あぁ 逃げてるんだ」
って、何を言ってんだ…。いきなりの事で動揺していたとは言え、まともに(そうでもないが)答えてしまったのは不味い。男はそう思った。彼には時間が無いのだ。そんな彼に、また少女が問う。
「何から逃げてるの?」
「あぁ…だから…、いや…」
止まる時間はあるのに、止められている時間は無いらしい。とまれ、この少女との会話は彼に焦燥を与えた。
 こうしている間にもあいつらは近づいてきているだろう。
動かないと不安になる。彼は壁から離れ道に戻る。が、そんなことはお構い無しに少女はまた口を開く。
「ねぇ」
「なに?」
「もしかして逃げてるって、アレから?」
そう言って少女は彼の後ろを指差す。それに従い彼も後ろに振り返る。そして、また驚くことになる。
少女の指し示した先には、あの黒装束たちがいた。
(くそっ…)
思った以上に早い登場に毒づき、男は少女を背に、黒装束に向き直る。と、先頭の黒装束が声を発する。
「ここまでだな、スクラマコト」
その言葉と同時に残りの三人の黒装束が銃を構える。こうなってしまっては僅かな時間稼ぎなど無意味だ。そう思いながらも彼――スクラ マコトは口を開いた。
「…どうしてここがわかった?」
黒装束に問う。しかし、それよりも早く少女の声が聞こえた。状況が分かっていないのか、えらく気楽な声。
「ねぇ、首に何か付いてるわよ」
そう言いながら少女はマコトの首に付いた“何か”を取り、マコトに渡す。彼はそれに見覚えがあった。
よくある手、小型の発信機だ。すぐに黒装束に振り返る。
「…まぁ、そういうことだ」
先頭の黒装束が言った。それきり、場に沈黙が降りる。とは言え、それも長く続かないだろうが。
(…このまま殺されるわけにはいかない、あいつの為にも…。しかしどうする…?)
状況は絶対的に不利。それも待っているのは確実に死のみ。相手はこっちの身柄が必要なのではない。こっちに命がないことを必要としている。考えても、いや、考えれば考えるだけ可能性が潰れていく。
唾液に嫌な味が混じった。もうどうしようもないのか? と、その沈黙を割って、少女の声が聞こえた。
マコトの耳だけに届くようにボリュームが下げられている。
「ねぇ、助けてあげようか?」
「え?」
あまりにも突拍子もない言葉だった。本当に状況が分かってないのか? マコトはすぐに言い返した。声量は下げて。
「何言ってんの、無理だよ。まして君みたいな女の子に…」
だが、少女は引かなかった。黒装束の方を見、頭をかきながらこたえる。
「う〜ん、無理じゃないけど…」
と、言うが早いか、マコトの視界から少女が消える。
「!?」
目前の現実が飲み込めないマコト。その一瞬の後、四つの男の短い悲鳴が上がり、何かが地面に倒れる音がする。振り返ると、黒装束が消えており、代わりに少女がそこに立っていた。こちらを向いて。
そしてまたあの超然とした瞳で、あくまで気楽な声で、言う。
「ね? 無理じゃなかったでしょ?」

「君は…いったい…?」
倒れている黒装束を後にこちらに歩む少女を前に、マコトはそれだけ言うのがやっとだった。それに少女も口を開く。
「そうねぇ。でもそれより…」
そう言いながら自分の後ろを見るように促す少女。マコトも視線をやる。そこでは黒装束の一人、先頭の男がうめき声を上げていた。完全に気絶してはいないようだ。少女が後を続ける。
「逃げたほうがよくない?」
「…、そうだね」
それから少女を先に、マコトは再度狭い路地に入っていった。

 また幾度か路地を曲がり、別の通りに出る。疎らに街灯の照らす道を歩きながら、マコトは隣の少女に聞いた。
「それで、君は何者なんだい?」
だが、答えは返ってこなかった。代わりに、
「そう言うあなたこそ何者?」
問いを返される。それに答えるか否か、マコトは少し思案した。と、それに少女は追い打ちをかける。
「人の事を聞く時は、まず自分の事を話すものじゃない?」
…確かに。まぁ、何から何まで話さなければいけないわけでもないし。マコトは、事実だが差し障りのないところを答えた。
「…そうだね。名前は主空 睦。ジャーナリストをやってる」
「へぇ、じゃあさっきのもお仕事の関係?」
「あぁ、ちょっとドジを踏んじゃってね」
「因果事象管理局を相手に?」
「!」
マコトの足が止まる。こんなところで聞くはずの無い名詞、普通に暮らす者は決して知らない名詞を聞いたからだ。
「何故…その名前を…!?」
マコトと共に、少女も足を止めていた。対峙するマコトの脳裏に最悪の考えがよぎる。
「まさか、君も…」
思った事がそのまま口をついた。そんなマコトに、少女が口を開く。
「…次はわたしの番ね。名前はモトオリ ナガヒサ。一応言っておくけど、管理局とは関係ないわ」
真面目な声。少しの間、マコトは少女と瞳をあわせる。そして、先に目をそらしたのはマコトだった。
意外そうな顔をしている少女――ナガヒサに向かってマコトは言う。
「わかった。信じるよ」
「簡単に信用するのね。嘘ついてるかもしれないのに」
「そうだね。でも自分を信じるよ。君は嘘をついてない」
そのセリフに、ナガヒサの表情が緩む。
「ありがと」
「あぁ。でも、一つ聞かせて欲しい」
「なに?」
「どうして君は管理局の事を知っているんだ?」
と、それを聞いてナガヒサは憮然となる。
「なんだ、やっぱり信用してないんじゃない」
「いやそうじゃないんだ。――因果事象管理局。国家機密であるこの名前をどうして知っているのか。単純にそれが知りたいんだ」
「ふ〜ん…」
そのまま彼女は少し間を取り、口を開いた。
「調べたのよ。用があったから。まぁ、そんなところ。それ以上は聞かないで」
それを聞き、答えに納得がいかないのか、彼女の“用”を憶測しているのか、マコトは顎に手をあてた。と、
「ねぇ、あなたはどうなの?」
ナガヒサが言う。
「僕?」
問いに、マコトは腕から顎を上げた。
「僕も…、あそこに用があるんだ」
「どんな?」
すぐに聞き返してくるナガヒサ。「あっ、話したくないならそれでいいけど」と言いつつも、聞きの顔になっている。マコトは、暫く迷った末、口を開く。第一声は問いだった。
「因果事象管理局。この名前の由来、君は知っているかい?」
問われたナガヒサは、「えぇ」と頷き答える。
「この世に起こる事、つまり事象を意のままに管理・操作できる、ってアレでしょ?」
マコトは一度だけ頷く。ナガヒサは後を続けた。
「でもそれってホントなのかしら? いくら科学が進んだってそんな事…」
「できるんだ」
ナガヒサの言葉を遮りマコトが言う。
「それができるんだ。事実今の首相はそれでその地位を得ているし。そしてそれは、科学なんかでじゃない。人間の、‘時の民’の力を使ってね」
「時の…民」
「――何時からかこの世界に在り、‘時’を操る力を有してきた人間達のことだ。彼らは時間を意のままにし、時を越えることも出来たといわれている。でも彼らの力はそれだけじゃなかった。彼らは事象を入れ替える事もできたんだ」
「…どういうこと?」
「…君は知ってるかな。僕達のいるこの世界――宇宙と言った方がいいかな――で、これは実は一つじゃないんだ。同じような、それでもまったく別の数多の宇宙が並行して存在しているんだよ。そしてその並行世界の唯一の共通点は‘時間’。‘時の民’はその‘時間’を入れ替えることによって好きな未来を決定することができたんだ」
「じゃあ、管理局は‘時の民’が動かしてるの?」
そう言うナガヒサの声は何故か硬く、震えていた。
「いや、‘時の民’を利用して動いている」
そのマコトのセリフに、ナガヒサは怒声を上げる。
「そんなっ…! 事象置換なんかしたら操者がどうなるかわかってるの!?」
「…君も‘時の民’の事を知っているんだね」
少し意外そうにマコトは言う。それに一瞬ナガヒサは息をつまらせる。が、マコトは気にせず後を続けた。
「…でも彼らの力には必ず代償がある。自身の‘寿命’という‘時間’がそれだ。…でもね。今の技術では延齢なんて大したことじゃないんだ」
「だからって…」
何かを堪えるようにナガヒサ。後をマコトが続ける。
「そう、だからって許されるものじゃない。他人の命と引き換えに自分達の都合のいい未来を選ぶなんて。ましてあいつは、望んであそこにいるんじゃない…!」
最後の部分はここにはいない、‘時の民’に向けられたものだった。
「…管理局に囚われた‘時の民’を、あいつを解放する。それが僕の用だ」
マコトの強い言葉。ナガヒサは何も言わずそれを聴いた。その後、マコトも言葉は無い。
沈黙が閉ざした夜の場に、さっきより少し傾いた月が淡い光を届けている。
「ねぇ」
その沈黙をナガヒサが開いた。
「その用、わたしも手伝わせてくれない?」
「え?」
まったく予期していなかった言葉にマコトは混乱する。
「何故?」
「何故?って、わたしも管理局に用があるし、どうせなら二人の方がよくない? それに結構わたしも役に立つと思うけど」
言うナガヒサ。だがマコトは“うん”とは言わない。
「でも…」
と、
「その必要は無い」
突然、第三の声が闖入。直後、パンッ と軽い炸裂音が夜に響く。同時に、マコトの左腕に衝撃と激痛が走った。短く呻く。ナガヒサはその後方に覚えのある影を認め声を上げる。
「! 後ろっ」
そう言われ、左腕を庇いつつ振り向くマコト。視線の先にはあの黒装束がいた。独り。銃を構えて。声から察するに先頭の奴だ。
「てこずらせてくれたな スクラ。だが終わりだ。そこの女にも死んでもらうぞ」
「くっ…」
ナガヒサを背に、黒装束と対峙するマコト。その左腕から滴る血が地面に斑を描く。ナガヒサはそれに見入っていた。と、
「どけて」
とナガヒサ。そのまま返答を待たずマコトを押しのけ前に踏み出る。
「ちょっ…!」
マコトは止めようとするが、痛みが邪魔をして一瞬遅れる。既にナガヒサはいない。
「しつこいわね、あんたも」
目に驚愕の色を浮かべている黒装束の懐でそれだけ言い、その顎に向かって掌底を放つ。一瞬後、黒装束の目から色がなくなり、地面に沈む。動く気配は無い。それを足元に、ナガヒサは背中で言う。
「…それに。さっきの話の続きだけど、どの道こうなっちゃったんだしね。命狙われてる同士、仲良くしない?」
“命狙われてる”と言った割には緊迫感が無いナガヒサの声。振り向いたその目は、またあの超然とした目だった。マコトは暫くその瞳に見入る。
「…わかったよ。まぁ、こうなった責任は僕にもあるんだしね」
半分あきらめた様にマコトは言う。
「それで、これからどうする?」
「そうね、さっさと片付けちゃう? どうせモタモタしてるつもりないんでしょ? と、その前に…」
「?」
そう言ってマコトに歩み寄るナガヒサ。目の前まで来ると、おもむろにマコトの左腕を叩く。
「ッ!?」
声にならない悲鳴を上げるマコト。が、特に気にとめる様子も無いナガヒサ。
「…これを治さなきゃね」
「治すって…。どうやって?」
涙目で聞く。
「カンタンよ。左手、出して」
「……?」
よく分からないが、言われるままにマコトは左腕を差し出す。上腕に穿たれた孔(あな)は貫通しており、そこから流れた血は既に固まって、腕に妙な模様をつくっていた。ナガヒサは腕を取り、黒く空いた孔の上に自らの手を添える。そして、ナガヒサが目を閉じて数瞬後、腕の孔の周囲の空間が揺らぐ。
「!?」
 驚くマコト。もとに戻った空間には、もとに戻った、孔の無い左腕があった。
「ね? カンタンでしょ」
事も無げにナガヒサはそう言ってのける。まだ驚きから抜けられていないマコト。が、彼が驚いたのは怪我を治したことにではない。その方法にである。それは過去に一度見たことのあった力。自分が致死の怪我を負った時、見た力。
(…さっきのは、間違いない。‘時の民’の力…。じゃあ、この娘も…)
腕から顔を上げ、ナガヒサを見つめるマコト。その目に、言いたいことを悟ったナガヒサは口を開く。遊びの無い声。
「…さ、いきましょ。歩きながら話すわ」
そう言ってナガヒサは歩き出す。
「…」
マコトもその後に続く。ふと見上げた月は、少し前と同じところで輝いていた。

「…あなたの思ってる通り、わたしも‘時の民’だった」
ナガヒサは静かにそう告げた。声にも、表情にも今までとは違い、遊びが無い。それに何となくマコトは罪悪感を覚えつつも、口を開く。
「じゃあ、さっきのも…」
「そう、‘時の民’の力。あれは単純に時間を逆行させただけだけど」
「だけだけどって…」
それから、マコトは少し語気を強めた。
「自分の命を削ることになるだよ? それをあんなことに……!」
たかが撃たれた傷に使うなんて。いや、例え命に関わるものでも使って欲しくなかった。自分のために、他者に犠牲になって欲しくは無かった。が、ナガヒサは言う。
「あぁ、その点は心配しないで」
「何故?」
「…さっき言ったでしょ。『わたしも‘時の民’だった』」
改めて言われ、不自然さに気付く。ナガヒサは後を続けた。
「‘時の民’がどんなに特異な力を持っていたとは言え、彼らは人間よ。その証が代償。人間である彼らに‘時’というものはやはり重すぎたのよ」
くらい夜と同じ色をしたナガヒサの瞳。少し間をおき、また口を開く。
「わたしはね、19歳の時に自分のことを知ったの。それで、もう何十年も前の事だから理由なんて忘れたけど、永遠の命を望んだの。自分の‘寿命’と引き換えにね。普通に聞くと矛盾してるみたいだけど、実は理屈は通ってるの。永遠の命、つまり‘時間’に縛られない存在。…わたしは、‘時の民’の力で自分を‘時間’の外に出したの。そしてわたしは永遠を手に入れた。だからわたしは代償を考える必要が無い。
でもこれは寿命に底が無いんじゃなかった。代償となる生が、時間が無くなっていた。わたしは‘時間’の外に出た時から生(じかん)をなくしていたの。…でも‘時の民’の力はまだ残っている。もしかしたらそれは神さまのせめてもの慈悲だったのかもしれないけど…」
そこで、言葉を詰まらせる。
「…‘時の民’の力なんて…初めから無ければよかった……!」
途切れ途切れにナガヒサは言葉を吐き出す。その頬を、月に照らされた雫が伝う。何も言えないマコト。
永遠を過ごす辛さなど知らないマコトには何もいえなかった。ただ、
「…ナガヒサ」
名前を呼ぶことが精一杯だった。だが、ナガヒサはそれでも十分だった。
「…ごめんね、こんな話聞かせて」
そう言いながらナガヒサは目元を拭う。
「いや…」
マコトは短く答える。そして足を止める。ナガヒサも同じように隣に立っていた。二人の前には大きな病院がたたずんでいた。歓迎するでもなく、威圧するでもなく、ただ月に浮かばされた白い建物はそこにあった。
「ここね」
病院を見上げ、ナガヒサは言う。
「そう、延齢治療の最先端。まさにもってこいの施設だ。でも、正確には管理局はこの地下にある」
そう言って、マコトは地面に目を落とす。
「ねぇ」
呼ばれ、マコトは顔を上げる。目の前にはナガヒサがいた。超然とした瞳で、どこか悪戯っぽい笑みを浮かべている。口を開く。その声には、遊びが戻っていた。
「どうせなら、派手にいきましょうか」
そう言うと、地面を撫でる様に手を滑らせるナガヒサ。すると手の軌跡の空間が歪み、それが地を這う様に放射状に広がっていく。そして、その歪みが二人の立つ地面を丸く覆う。と、地面が無くなった。
 マコトは、一瞬思考が止まるのを感じた。
急に開けた下方には、広い病院の廊下のような所があり、白衣が数人こちらを見上げている。一様に驚いた顔で。そしてそれがだんだんと近づいてくる。否、近づいているのはこちらの方だ。
マコトがそう気付いた時には、地面までもう刹那も無かった。

「ッ……?」
マコトは、いつの間にか目を閉じていた。半分瞼を開くと、自分の両足と右手が目に入る。どうやらちゃんと着地出来ていたらしい。あの状況では奇跡に思えたが、今はそれに感謝している時間は無い。
すぐに周囲を見回す。隣ではナガヒサが既に体勢を直しており、周りの白衣らは落下中に見た表情のままだった。
(まぁ、無理もないか)
それだけ思い、マコトは立ち上がる。と、それに反応したように白衣の一人が大きく口を開くのが見えた。まず間違いなく、助けを呼ぶ気だ。
(! しまった)
心の中で悲鳴をあげる。が、白衣の声は聞こえてこない。見ると、周囲の白衣は皆倒れていた。顔面に氷塊をうめて。
「!」
今度はナガヒサに目をやると、彼女の周囲の空間が歪んでいる。どうやら、彼女の仕業で間違いないらしい。ほとんど呆れ顔のマコト。その顔を見てナガヒサ。
「事象置換。こんなこともできるのよ。…さ、いきましょうか」
そう言って駆け出す。
「あ、ちょっと」
マコトも少し遅れその後に続いた。

 管理局の中は病院のような、役所のような感じだった。全面白くのっぺりとしている。地下ゆえに窓は無い。それでも二十四時間体制で動いているらしく何処も明るい。そして、対応が早かった。上から入った時以外白衣が目に入らないし、隔壁がいたるところを分断していた。が、それが意味を成しているものは皆無と言ってよかった。隔壁を見つける度、ナガヒサはそれを開けて進んでいく。
走りながらマコトは少し前を行くナガヒサに問う。
「…それで、何処に向かってるの?」
「え…、中心」
そう答えると、また先に壁が現われる。その壁に向かってナガヒサが手を振ると、壁が揺らぎ、消える。そこをくぐりナガヒサは右に曲がる。マコトもそれに従う。
「ここの中心にあなたの‘用’があるわ」
「…そうか」
マコトの声が少し重くなる。それをナガヒサは一瞥し、また前を向く。と、
「ここよ」
そう言って足を止める。廊下を、そのまま鉄の塊のような扉が閉ざしていた。その扉を向いたままナガヒサは一言告げる。
「…開けるわよ」
こくりと、マコトは一度だけ頷く。それを視界の端に捉えたナガヒサは扉に向かって手をかざす。それに従い扉が揺らぎ、その道を開ける。その先には一つの大きな部屋があった。
部屋の中は、様々なコードやチューブが這っていた。それは無数の蛇の様にも見える。その蛇の集まるところ、部屋の中心部。そこにはまだ幼さの残る少女が眠っていた。白衣の上や下に蛇を這わせて。
  その光景から、蛇が無くては少女は生を保つことが出来ないことが知れた。
「ノゾミ……!」
音の無い部屋にマコトの声が響く。希(ノゾミ)。それがこの少女の名だった。
「ノゾミっ!」
叫びマコトは少女に駆け寄る。マコトが見下ろしたその少女の顔は、彼が最後に見た時――十年前のあの時から変わっていなかった。見下ろしたまま、動かないマコト。ナガヒサも少女に近づく。
「…酷い。こんな事して、何も感じないの……!?」
怒気だけでない、言い知れぬもののこもったナガヒサの声。と、突然マコトの手がチューブに伸びる。それが何を望むものか理解したナガヒサは叫ぶ。
「ちょっと…!」
マコトを止めようと手を伸ばす。が、マコトは止まらない。チューブをつかむと、そのままマコトは少女の上に倒れこんだ。そして、白衣に赤いしみをつくる。そのまま動かないマコト。
「なっ……!?」
驚愕するナガヒサ。その耳に聞き覚えの無い声が届く。
「ソレから離れてもらおうか」
ナガヒサはその方向、部屋の入り口に向き直る。そこには黒装束を従えた、高官風の男がいた。手には、一丁の銃が握られている。その男を睨みつけ、ナガヒサは言う。硬い声。
「…ソレ?」
言われて、男は一瞬戸惑う。意味が理解できなかったからだ。
「?  あぁ」
とりあえず答える男。刹那、
 ドンッ
と空間が鳴動し、視界に歪みが散在する。慌てる男達。それに向かいナガヒサは叫ぶ。
「ソレっ!? あの娘だって人間なのよっ!」
手を振るう。それと同時に男のすぐ後ろの空間が、黒装束ごと消し飛ぶ。
「なっ!?」
驚愕する男。が、ナガヒサは止まらない。
「それにマコトも…! あんたのような人間に、‘時’を自由にする権利はないっ!」
その声が響くと、男に周囲の歪みが群がる。直後、見る間に男の眼窩が落ち窪み、頭髪は白み、落ちていく。だんだんと生気の抜けていく様は、まさに‘時’の報いに相応しかった。
男から歪みが離れると、枯れ木の様な男はその場にくず折れる。
それを見つめ、ナガヒサは小さく独り語ちた。
「…‘時’なんて、人が自由に出来るものじゃないのよ」
そして目を閉じる。急速に濁ってゆく意識が、彼女をある場所へと導いていった。

 再びナガヒサが目を開けると、視界いっぱいに‘流れ’があった。‘時間’。それだけが存在するところに彼女はいた。と、声が響く。聞き覚えのある声。
『…‘時’に入りし者、汝何を望むや?』
どこか威厳があるその声。が、それには答えず、ナガヒサは言う。
「…久しぶりね、時の神さま」
『…永久(ナガヒサ)か。永遠を手にしたお前が何の用だ?』
そう言って流れの中から一人の男が姿を現す。「神」と言われるには若いように見えるが、姿には意味が無いと、以前会ったときに言われた。それは置き、
「永遠…か」
自嘲気味に言うナガヒサ。
「まぁいいわ。今回はお願いに来たの」
『願い?』
疑問符を浮かべる時の神。
『底の無い‘時の民’の力を持つお前がわざわざ私に頼むようなことがあるか?』
問われ、ナガヒサは少し間をおき答えた。
「ある人間を助けたいの」
『…‘時の民’か?』
「えぇ」
それを聞いて、時の神は一度溜め息を吐く。
『分かっているとは思うが、‘時の民’を‘時の民’が救うことは出来ん。…例外もあるが、この場合は無い』
強く言い放つ。が、ナガヒサは引かない。
「だから貴方に頼んでるのよ」
また、溜め息を吐く時の神。
『…代償は? お前は何を差し出す?』
「わたしの時間」
『却下だ。お前も知っての通り‘永遠’は‘無’と同じだ。無いものは受け取れん』
「じゃあわたしの存在をあげるわ」
『正気か?』
時の神はナガヒサを見る。それをナガヒサは真っ直ぐに見返した。
『そんなことをすれば今度は‘時間’どころか‘お前’というもの自体を失ってしまうのだぞ?』
その言葉に、ナガヒサは一度だけ強く頷く。
『…わかった』
かなり時間をおいた後、時の神はそう答え、閉じていた目を開いた。
「ありがとう」
聞こえるナガヒサの声。だが、その姿は既に無く、声もすぐにその後を追った。唯独り、流れを見つめながら、時の神は独り語ちた。
『これで‘死’を得たということか…。永久、すまなかった』
そして時の神は一筋の流れに、その意思を流した。

 白く大きな部屋の中、希は目を覚ました。少女ではなく、女性の姿で。体を繋いでいた蛇たちもいなくなっている。半身を起こそうとすると、胸の上で一人の男が寝息をたてているのに気付く。知っている男。でも、記憶の中の彼よりだいぶ成長していた。
 ふと思い、希は虚空に意識を凝らす。が、時を感じることは出来なかった。
「…ありがとう、永久さん」
希は、在るはずの無い者に礼をいい、在るはずの無い者に涙を流した。


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